変数を見つける — 駅で肩がぶつかったとき、自分に動かせた一歩を探す

天気予報が当たらないとぼやいていたら、そこから思いがけず違う話に転がりました。物事はいくつもの要素の掛け合わせで起きている、と考えてみると、同じ出来事でも見え方が変わります。今日は「変数」という言葉で、自分が関われる余地の探し方について話します。

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変数を見つける — 駅で肩がぶつかったとき、自分に動かせた一歩を探す

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最近、天気予報が当たらない

台風が続けてやってきて、雨模様の日が続いています。

私が住んでいる地域では急なゲリラ豪雨が降ったかと思えば日が出たりと、なかなか不安定な天候です。

地域によっては大雨や洪水のニュースも見かけますので、読んでくださっている方が安全に過ごされていることを願っています。

さて、そんな天気の話と関連するのですが、最近の天気予報、当たらなくないでしょうか。

私は飲食事業をやっている関係で、天候の影響をまともに受けます。

雨の日は外出する人が減りますし、当日に雨が降らなくても「雨予報」というだけで外に出る人は大きく減ります。

だから天気予報にはかなり敏感で、なるべく見るようにしています。

ところが最近は本当に当てにならない。

半年前くらいまでは、三日前の予報で雨が5ミリと出ていれば、だいたいその通りに降っていました。

それが今は前日でも当日でもコロコロ変わって、まったく予測がつきません。

気になって調べてみたら、天気の予測はそもそも難しいものらしいです。

地図を網目状のマス目に区切って計算するので、その網目より小さい雲は判定ができない。

一方で雨を降らせる積乱雲は、局所的に短時間で発達してしまう。

混沌としているようでいて、予想が難しいのは無理もないようです。

出来事は、いくつもの変数の掛け合わせでできている

天気が当たらないなとぼやいたとき、ここから一つ考えを深められるなと思いました。

それが冒頭で触れた「変数」という言葉です。

世の中の物事も、自分の身の回りで起きることも、いろんな要素の組み合わせで存在している。

ある特定の出来事は、その要素の掛け合わせで発生している。

そういうふうに捉えてみると、自分の周りの環境に対してより主体的に関われるのではないか、という話です。

たとえば、混み合った駅で前から歩いてきた人とすれ違うときに、肩やバッグがぶつかってしまったとします。

この出来事には、少なくとも「自分がそこをまっすぐ歩いた」ことと「相手も同じところをまっすぐ歩いてきた」ことの二つの要素があります。

歩く場所は、自分が少し左にずれることもできたし、右にずれることもできた。

相手も同じです。

そういう可能性のある要素を、一つひとつ変数として捉えてみる。

変数として捉えないと、ぶつかったという出来事に対してただイラつくだけ、ムカムカするだけで終わってしまいます。

でも変数の組み合わせとして見ると、「もう一歩左を歩いていれば、このモヤモヤは発生しなかったんだな」と捉え直すことができます。

天気は変えられなくても、自分側の変数はいじれる

この捉え方の何が良いのか。

変数として考えなければ、自分はその出来事に対して無力なままだからです。

仕方なく起こったこと、なるべくして起こったこと、自分が関与できる余地はなかったこと。

言ってしまえば突然の台風みたいなもので、自分にはどうしようもなかった、となります。

そうなると、モヤモヤはどうしようもないままですし、次に同じようなシチュエーションが来たときも「自分にはどうしようもない」で終わります。

どうすればよかったという考えに至らないので、ただイライラするだけで時間が過ぎていきます。

逆に「自分がコントロールできる部分があったな」と捉えられれば、次に同じ場面が来たときに「じゃあこうしよう」と動けます。

周りの世界に主体的に働きかけられますし、同じ問題も避けられます。

何より、モヤモヤだけでその時間が終わりません。

なぜ天気の話からここに発展したのかというと、天気も変数の一つだからです。

天気そのものをコントロールすることはできません。

でも、毎日折りたたみ傘を持ち歩いておくことはできる。

悪天候の日にやることを決めておくこともできる。

天気に対して自分がどういう感情を抱くか、どう捉えるかは、自分の裁量の中にある変数です。

人のせいにすると、自分の変数がゼロになる

冒頭で「自己責任」という言葉を出しましたが、これがどういうことかを説明させてください。

私は人のせいにするのがあまり好きではありません。

理由は、人のせいにすると自分が関与できる部分がなくなってしまうからです。

ある出来事が無数の変数の組み合わせで起きたとします。

人のせいにするというのは、その変数を全部相手の管轄ということにしてしまう行為です。

自分がコントロールできる変数はゼロ、全部相手が変数の調整をミスったから起きたこと。

そうなると、相手を非難するかイライラするかしかできません。

しかも他人の行動を変えるのは、とても難しい。

ただでさえ自分の行動を変えるのが難しいのに、それ以上に人の行動を都合よく変えるなんてできません。

となると、また同じシチュエーションになったときに、結局同じことの繰り返しになってしまいます。

変数として捉えた上での自己責任

嫌なことがあったときに、少しでも自分の変数を、「これは自分が何とかできたな」という部分を見出すことができたら。

言い換えれば、自己責任の要素を見つけ出すことができたら。

その出来事に主体的に関われるようになります。

相手を非難するだけで終わらず、「次は自分はこうしよう」と決められる。

そうすれば、次に同じような場面に立ったとき、少なくとも初回よりは少し改善した状態でその状況に立ち会えます。

だから、変数として捉えた上での自己責任はとても大事だと思いますし、そのためにも物事を変数として見る癖は重要なのかもしれません。「調整できるところはないかな」と探してみる。

それだけで、出来事をただ目の当たりにして享受する傍観者ではなく、物事に主体的に関わる側として生きられるのではないでしょうか。

抽象的な話で恐縮なのですが、皆さんはいかがでしょうか。

そういうふうに捉えたことがなかったという方も、自分はこう捉えているという方も、こんな出来事があったという体験談でも、ぜひ教えていただけたら嬉しいです。


まとめ

  • 出来事は無数の要素の掛け合わせで起きていると捉えると、同じ場面でも自分が関われる余地が見えてくる
  • 天気そのものは変えられないが、傘を持つ・悪天候の日にやることを決める・どう受け止めるかは自分の裁量の中にある
  • 人のせいにすると変数が全部相手の管轄になり、自分にできることがゼロになる。自己責任とは、自分が動かせた変数を見つけ出すこと

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