毎朝鏡を見る — 数日見なかっただけで土色の顔に気づけなかった
生活習慣が乱れた数日間、私は鏡をちゃんと見ていませんでした。久しぶりに向き合った鏡に映っていたのは、土っぽい色をした、心配になるほど不健康そうな自分の顔です。毎朝鏡を見ることは、自分の変化に気づける数少ない機会なのかもしれません。
生活習慣が乱れた数日間、私は鏡をちゃんと見ていませんでした。久しぶりに向き合った鏡に映っていたのは、土っぽい色をした、心配になるほど不健康そうな自分の顔です。毎朝鏡を見ることは、自分の変化に気づける数少ない機会なのかもしれません。
LINEは気づいたらすぐ返す。そう決めて続けてきた私が、無気力になった2日間だけ返信を止めたところ、何人かから心配の連絡が届きました。自分で決めた「いつものやり方」は、いつの間にか相手の前提にもなっている。その重さについて考えた回です。
スマホの電源を切って、雨の夜に閉館間際の温泉へ行きました。もやがかかっていた頭が、驚くほど軽くなったんです。その日から、スマホを持ち込まない「聖域」を暮らしの中に作ることを考えています。
プライドとは謝れなくなる厄介な感情。でも「矜持を持つ」ことは、人を支える静かな誇りだと気づきました。その違いを日常の場面から考えた30分。
知っていることと知らないことの間にある壁は、思っているよりも大きいのかもしれません。最近、自分の作業のやり方を根本から変えるようなことを二つ知りました。どちらもずっと前からある技術で、私が知らなかっただけでした。
夏は常温の水、冬は白湯。同じ水を飲んでいるはずなのに、冬に白湯を飲むとなぜか気持ちがすっと落ち着きます。温度が気分を左右しているのかもしれない、と最近考えています。
天気予報が当たらないとぼやいていたら、そこから思いがけず違う話に転がりました。物事はいくつもの要素の掛け合わせで起きている、と考えてみると、同じ出来事でも見え方が変わります。今日は「変数」という言葉で、自分が関われる余地の探し方について話します。
幼稚園で習ったことはほとんど忘れているのに、桃太郎のあらすじだけは今でも言えます。物語というフォーマットには、感動したかどうかとは関係なく人の記憶に残る力がある。その力に引き込まれる側から、使える側に回れたらと考えた朝の話です。
日記を書き続けて気づいたのは、反省の中身がずっと同じだということでした。今日はできなかったこと、明日への決意——そんな言葉を9ヶ月近く繰り返してきた自分に、朝のコーヒー片手に向き合ってみます。変わらない毎日をどう動かすか、二つのアプローチを考えました。
手書きの日記をSNSにあげる「日記界隈」というものがあるらしい、というニュースを見かけました。自分も日記は書いているけれど、音声入力でデジタルに放り込むだけ。わざわざ紙とペンを選ぶ人たちのことを、コーヒーを飲みながら考えていました。
20代前半の自分から見ると、人が自然と集まる人には共通点があります。人間関係の面倒くさい部分を、淡々とちゃんとやっている。頭ではわかっているのに、私はそれをつい後回しにしてしまうんです。
お芋のメニューが並び始めて、ああもう秋か、と気づきました。秋の入り口は、一年の折り返し地点でもあります。年の初めに立てた「変わろう」は、正直そんなに進んでいません。