祖母と宝物と自分の心
月に一度、祖母とご飯に行きます。特別なことは何もしない、いつも通りの一日のはずでした。それなのに帰り道、祖母がぽつりと『すごい宝物をもらったみたい』と言ってくれて——嬉しさと、ほんの少しの不安が同時に押し寄せたんです。
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月に一度、祖母とご飯に行く
私は父方の祖母と、月に一度くらいのペースでご飯に行っています。
といっても、特別なことをするわけではありません。
車で迎えに行って、近場のご飯屋さんに入って、話しながら食べて帰る。
本当にただそれだけのことなんです。
いつもは事前に電話をして『この日に行こうね』と約束してから出かけます。
でもこの間は、出かけたついでにふと思い立って、唐突に祖母の家へ寄りました。
家に上がって、おじいちゃんの仏壇にお線香をあげて、それから『お腹減ったね』とカレーを食べに行ったんです。
深い話をしたわけでもなく、いつも通りの何気ない時間でした。
「すごい宝物をもらったみたい」という言葉
ところが、帰りに祖母を家まで送っているときのことです。
助手席に座っていた祖母が、唐突にこう言ったんです。
『なんだか、すごい宝物をもらったみたい』
すごく胸がいっぱいそうな様子で言ってくれました。
私としては本当になんとなく寄っただけですし、カレーも美味しかったな、くらいの感覚でした。
正直、話すと気が楽になる部分もあるけれど、そこまで重く捉えてはいなかったんです。
でも、自分にとってはただそれだけのことなのに、そんなふうに思ってくれるんだなと、こっちまで胸が熱くなりました。
ありがたいって、素直に思ったんです。
嬉しさと同時に芽生えた不安
ただ同時に、なんだか自分の将来が不安にもなってきました。
最近、人間関係について悩むことが多かったからかもしれません。
たとえば結婚とか、子供を持つということ。
他の人を見ていると、きっと幸せで素敵なことなんだろうなと思います。
自分が今こうして存在しているのも、そういう積み重ねの結果なわけで。
でも、それを自分が心から嬉しいもの、幸せなものとして捉えられるのかというと、ちょっと自信がない。
会いに行ってご飯に行っただけのことを宝物だと思ってくれた祖母。
そんなふうに、自分も誰かを思えるようになるのかなって、勝手に不安になってしまったんです。
この感覚はどこから来るのでしょう
こういう無償の愛、というか……無条件の愛みたいなものを、自分も子供や孫に対して注ぐことができるんだろうか。
今からそんなことを考えていました。
祖母が私に抱いてくれたあの感覚は、血縁とか『孫』という関係性が影響しているのか。
それとも、これまで積み重ねてきた会話や、お互いの人間性が影響しているのか。
きっと、どちらもなんだと思います。
でも、どうしたら自分もそういう将来を描けるのかな、と。
何かができたなと思える反面、不安にもなった。
そういう話でした。
皆さんはどう捉えていますか
皆さんはどうなんでしょうか。
おじいちゃんおばあちゃんとの会話もそうですし、もしかすると自分自身がお孫さんを持っている方もいらっしゃるかもしれません。
そういう物事を、どんなふうに捉えていますか。
きっと皆さんは私なんかよりもずっと、ちゃんと物事を考えられて、人のことを思うことができて、人生経験も豊富なんだろうなと思います。
だからこそ、ぜひ知恵を貸してほしいというか、いろいろ教えていただけたら嬉しいです。
それでは、コーヒーが冷めないうちに、また。
まとめ
- 月に一度、ふと思い立って祖母の家に寄り、一緒にカレーを食べただけの何気ない一日でした。
- 帰りの車で祖母が「すごい宝物をもらったみたい」と言ってくれて、胸が熱くなりました。
- その嬉しさと同時に、自分も誰かに無償の愛を注げるのだろうかと、将来が少し不安にもなりました。