どこまで見えているか
みんなが笑顔で話しているその場で、ひとりだけ心の底から笑えていない自分に気づいた夜がありました。見えている情報量が違う、思考の深さが違う——ただそれだけのことで、人はこんなにも孤独を感じるものなんだと思います。
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笑えなかった、あの場所で
最近、友人と一緒に飲食事業を始めて、半年ほどが経ちます。
まだ法人化などはしていないフェーズですが、少しずつ活動を進めてきました。
その活動を通じて知り合った方たちと先日、これからの展望や可能性について話す機会がありました。
参加していた方々はみなさん素敵な方で、会話の雰囲気も明るく、笑顔で楽しそうに盛り上がっていました。
自分も楽しそうに振る舞ってはいたんですが、心の底からは笑えていなかった。
その理由が、今日のテーマそのものだったんです。
見えている景色が違う
友人が「今後はこういうことがしたい」「こんな可能性もあるよね」と楽しそうに話してくれていました。
その気持ちには賛同するし、自分も頑張ろうとは思う。
でも聞いているうちに、ずっと引っかかるものがありました。
その発言は、先にあるハードルまで見えたうえで語っているのか、それとも表面だけを話しているのか。
施策を実現しようとすれば、クリアすべき課題がいくつもあります。
調整が必要な相手がいます。
やりきれていないことへのストレスも、内心ずっと抱えていました。
やることの山が見えているぶん、希望だけを、期待だけを語れるほど気持ちに余裕がなかった。
同じ場所に立っているのに、見えている景色がまったく違う——そのことをこの場でふと実感してしまったんです。
子供と親、それぞれに見えているもの
これって、子供と親の視点の違いに似ていると思います。
子供が「あれが欲しい」と言うとき、子供にはそのほしいものしか見えていない。
でも親には、それにいくらかかるのか、そのために何時間働く必要があるのか、どこを節約しなければならないのか——そういうことが全部見えていて、頭を悩ませている。
どこかで友人に対して、子供の視点ではなく保護者の視点で物事を見てほしかったんだと気づきました。
友人は活動の中でよく動いてくれているし、助かってもいます。
ただ、そういう「全体像を把握して考える」という思考に、これまであまりなじみがなかっただけだと思っています。
だからそういう面は自分が担えばいい——そう思ってはいたんですが、あの場でふとショックを受けてしまったんです。
「経営者は孤独」という言葉の意味
よく「経営者は孤独だ」という話を聞きます。
なんとなく分かった気になっていたけれど、あの場で初めて体感した気がしました。
やることの山が見えていて、考えなければならないことが積み重なっている。
それを相談したくても、同じ解像度で物事を見ている相手がいない。
友人が悪いわけじゃない。
ただ、見えているものが違う——それだけのことが、じわっと孤独につながる。
自分の心持ちの問題でもあると分かっています。
でも笑えなかったのは事実で、その理由がこれだったんだと思うと、少し腑に落ちる部分もありました。
期待値との差分、そして気づいたこと
ショックを受けたのは、どこかで「同じように見えているはずだ」という淡い期待を抱いていたからだと思います。
期待と現実の差分が、ショックの正体だった。
でも冷静に考えると、これは全部自分の裁量の中にある話です。
自分が頑張ればいいし、もし期待を伝えたいなら友人とちゃんと相談すればいい。
対処できる問題でしかない。
みなさんの中にも、こういう経験はありますか?チームメンバーとの温度差、相談できる相手がいないからこそ感じる孤独感。
よくある話ではあると思うんですが、共感してくれる方がいるかもしれないと思って、話してみました。
まとめ
- 事業の展望を語る場で友人との解像度の違いを感じ、みんなが笑っている中でひとりだけ笑えない自分に気づきました。
- 施策を実現するためのハードルやタスクの山が見えているぶん、希望だけを語れない——子供と親の視点の違いに似た感覚です。
- ショックの正体は期待値との差分でした。気づいてしまえば、すべて自分の裁量の中にある、対処可能な問題でした。