自分をおじさん・おばさんと呼ぶ人
飲みの場などで「いや、おじさんはこう思うけどさ」と、自分のことをおじさん・おばさんと呼ぶ人に会ったことはありませんか。以前はその言い方に少しもどかしさを感じていたのですが、23歳になった自分も気づけば同じことを言うようになっていて。なぜなんだろうと考えてみたら、思いやりと保身という2つの理由が見えてきました。
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自分を「おじさん」「おばさん」と呼ぶ人への違和感
皆さんは、自分のことを「おじさん」「おばさん」と呼ぶ人に会ったことはありますか。
たとえば飲みの場での意見交換で、「いや、おじさんはそう思うよ」「おばさんの意見だけど、こうだと思いますよ」というふうに話す方っていますよね。
しかも、その方自身がすごくおじさんという年代でもなく、まだ若かったりする。
こちら側はその人のことをおじさん・おばさんだなんてまったく思っていないのに、本人が自分で「おじさんはこう思うけどな」と言う。
あれは何なんだろう、とずっと思っていました。
正直に言うと、そう言われると少し困ってしまうんです。
相手をそんなふうには見ていないし、その言い方をされると、自分もその年齢で自分のことをそう自認しなきゃいけないのかな、なんて感じてしまう。
そういうもどかしさを、ずっと抱えていたんですよね。
23歳になって、自分も言うようになった
ところが最近、自分は23歳になりまして。
気づけば自分のことを「おじさん」と言うようになってきたんです。
あんなにもどかしさを感じていたのに、なぜ自分も言うようになったんだろう。
考えてみたら、その理由がなんとなくわかった気がしました。
自分のことをおじさん・おばさんと言うのには、2つの理由があると思っています。それは「思いやり」と「保身」です。 保身というのは、身を保つ、つまり自分を守るという意味ですね。
思いやりとしての「おじさんはこう思うけど」
一人称を「おじさん」「おばさん」にするのは、たいてい年下の人と話しているときです。
しかもその年下の相手に対して、何か意見を言ったり、指摘をしたりするケースが多い気がするんですね。
そういうとき、年上の立場の人が「これはこうだ」と断定的に言ってしまうと、同い年の人から言われるよりも強く、圧のあるものに感じられてしまう。
同じ言葉でも、年上から言われると反論しにくいですよね。
でもそんなとき、「おじさんはこう思うけどね」と一言添えてもらえると、どこかその圧が和らぐ。
意見が絶対のものだという感じが、少し軽くなるんです。 だからこの言い方には、年下への思いやりという側面もあるのかもしれないな、と思っています。
もう一つの理由、保身
そしてもう一つが「保身」です。
これは、相手に嫌われたくないという気持ちですね。
「自分なんてただのおじさんで、古臭い意見や価値観しか言えないけど」と、少しへりくだったスタンスを取る。
そうすることで、自分の意見への反発や反感を、あらかじめ抑えている。
そういうところも、正直あるのかなと思うんです。
自分が最近なぜそう言うようになったんだろうと振り返ってみると、たぶんこの2つなんですよね。
思いやりと、保身。
それでも残るもどかしさ
正直、年上の方にこれをやられると、自分はとても心苦しく感じていました。
相手をおじさんだとは思っていないからこそ、その自己卑下のような言い方に、どう返せばいいのか困ってしまう。
でも最近は、自分も言ってしまっている。
決して悪いことではないと思うんです。
思いやりも保身も、人と話すうえでの自然な気遣いですから。
それでも、どこかもどかしさが残ってしまう。 皆さんは、自分のことをおじさん・おばさんと呼んだりしますか。
そしてそれに対して、どんなふうに感じているでしょうか。
よかったら聞かせてもらえたら嬉しいです。
まとめ
- 自分を「おじさん」「おばさん」と呼ぶ言い方には、年下への圧を和らげる「思いやり」の側面があります。
- もう一つの理由は「保身」で、へりくだることで自分の意見への反発をあらかじめ抑えているのかもしれません。
- 決して悪いことではないけれど、言う側にも言われる側にも、どこかもどかしさが残ります。