目を見て笑う人
笑うとき、自分がどこを見ているかなんて、普段は意識しません。でも親戚の奥さんの「笑い方」に出会って、笑いって本当は誰かと共有するものなんだと気づかされたんです。何気ない仕草の中にある、人との親しみを生む小さな工夫の話。
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笑うとき、どこを見ていますか?
何か面白いことがあったとき、嬉しいことがあったとき、人は自然と笑顔になりますよね。
皆さんもきっと、たくさん笑った経験があると思います。
そんなとき、ちょっと思い出してみてほしいんです。
笑うとき、自分はどこを見ているだろうか、と。
空や天井、床、膝元、足元。
あるいは、お笑い番組が映っているテレビの画面。
正直、あまり意識したことがない方がほとんどじゃないかと思います。
シーンやシチュエーションによって、視線の先は様々ですよね。
今日はそんな、笑うときに目線を送る先について、お話ししたいと思います。
親戚の奥さんと、キャンプでの気づき
きっかけは、親戚の奥さんとのキャンプでした。
幼い頃に会ったきりで、正直そこまで記憶もない。
久しぶりに顔を合わせるので少し緊張していたんですが、昔会っていたこともあって、意外とすんなり打ち解けることができました。
キャンプに行かれたことがある方ならわかると思うんですけど、テントや机や椅子を設営し終えると、ご飯を作るタイミングまでは、基本的にやることがないんですよね。
机を囲うように座ったり、タープの下に集まったり。
自然と会話が生まれて、面白い話に笑ったりもする。
そのとき、自分は無意識に膝の方を見たり、空を仰いだりして笑っていました。
どこかしらに視線を逃して笑っていることが多かったんです。
必ず目を見て笑う、という仕草
ところが、その奥さんは違いました。
笑うときに、必ず誰かの目を見て笑うんです。
キャンプのテーブル周りって、距離も角度もバラバラに椅子を置いて座るので、正面に誰かの顔があるわけじゃない。
視線を交わすには、少し顔を動かさないといけない位置関係なんです。
それでも奥さんは、笑いが起きるたびに、必ず誰かしらの方へ顔を向けて、その人の目を見て笑う。
自分はそれまで、どこを見て笑うかなんて意識したこともなかった。
でも、その仕草に気づいたとき、ハッとさせられたんです。
目を見て笑いかけられると、なんていうか、ときめくっていうか。
うまく言葉にできないんですけど、心が動かされる感覚がありました。
笑いは「一緒に」共有するもの
そこで気づいたのは、コミュニケーションの中での笑いって、本質的には「みんなで共有しているもの」なんだということ。
一人で面白くて「はは」と笑うんじゃなくて、面白いねという感情を、その場にいる人と分かち合っている。
そこに価値があるんですよね。
適当な場所を見て笑っていると、4人いても、それぞれが自分一人で笑って終わってしまう。
でも顔を見て笑ってもらえると、「ああ、一人で笑ってないな」「一緒に共有しているな」という感覚がぐっと強くなるんです。
笑いの共感覚みたいなものが、目を合わせるだけでこんなに強く呼び起こされる。あるとないとでは、天地の差くらい違う。
一緒に笑っているという「一緒に」の部分を、ちゃんと確かめさせてくれる仕草なんだと思いました。
共感は、たぶん遺伝子に刻まれている
共感って、人間の心理にとって本当に大切な役割を持っていると思うんです。
狩猟採集の原始時代から、人はずっとコミュニティで生きてきた。
その中で生きていくために、シンパシーやエンパシーは欠かせなかった。
その影響は今も遺伝子に根強く組み込まれていて、だからこそ、現代を生きる自分でさえ、目を見て笑ってもらえるとあんなに強く何かを感じてしまうのかもしれません。
ただ笑うっていう話なのに、相手への親しみを生む、小さなライフハックみたいな気づきでした。
皆さんも笑顔になる場面で、ぜひ一度、顔を向けて、目を見て笑ってみてほしいんです。
皆さんの周りにも、素敵な笑い方をする方はいませんか? もしかしたら皆さん自身が、もうそうなのかもしれません。
まとめ
- 笑うとき、自分がどこを見ているかは普段意識しないものです。
- 親戚の奥さんは、必ず誰かの目を見て笑う人で、その仕草に強く心を動かされました。
- 笑いは「一緒に共有するもの」。目を合わせて笑うだけで、共感の感覚はぐっと深まります。