父にできて自分にできないこと
片道2時間の通勤、しんどい仕事、家のなかの小さなギクシャク。それでも父は、ふいに大きな声で笑える人でした。今朝、猫の毛でくすぐった瞬間に気づいたのは、自分には足りない「ゆとり」のことです。
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23歳になって、父を一人の人として見るようになった
今日は「父にできて自分にできないこと」というテーマでお話ししたいと思います。
自分は今まで、父のことを「父親」として見ていました。
父にも当然名前があるのに、その名前を持った一人の個人として目を向けることが、あまりなかったんですね。
23歳になって、家族のことや自分の身の振り方を考える出来事が増えました。
最近は失恋もして、その失恋には結婚という話も絡んでいて。
そうやって考えごとをしていたからか、ふと父を一人の人として眺める機会が、ちらほら出てきた気がしています。
そうして一度落ち着いて目を向けてみると、今まで見えていなかった父のすごいところが、いくつも見つかってくる。
今回はそんな気づきについて話してみたいと思います。
家のなかにあるギクシャクと、父の大きな笑い声
うちの家族は、仲が悪いわけではありません。
すごく仲がいいわけでもないけれど、普通に過ごしている家族です。
ただ、家事の負担はどうしても母に偏りがちで。
母としては「手伝ってほしい」というよりも、「一人でやっていない」という心理的な感覚が欲しいんだと思います。
一方の父は片道2時間の通勤を続けてくれていて、朝7時台に出て夜は11時に帰ってくる、というのもざらにあります。
仕事自体もそんなに楽しそうではなくて、たまにしんどいと弱音をこぼすこともある。
共働きなんですが、休日は母が家事をして、父はソファーに座って動画を見ている。
「休日くらい休ませて」という空気になることが多くて、そこに温度差みたいなものが少し漂うことがあるんですね。
そんな家のなかで、父は声が大きいんです。
怒鳴るとかじゃなくて、笑い声や鼻歌の音量が大きい。
ギクシャクがたまっているタイミングでそれを聞くと、正直「ちょっとうるさいな」と感じてしまうこともありました。
これまでは、本当にそのくらいの受け止め方だったんです。
猫の毛でくすぐった瞬間、父が大きな声で笑った
今朝の話です。
父が上裸でいたので、後ろから猫を抱っこして、その毛をスッと父の背中に当ててくすぐってみました。
そうしたら父が、「わー」と大きな声で笑ったんですよ。
その瞬間に、心に刺さるものがありました。
「すごいな」と、素直にそう思ったんです。
おかしいとも楽しいとも感じていないだろう仕事を、朝晩2時間ずつ通勤して、平日ずっとやってくれている。
家族としても、ありがとうとかお疲れさまとか、照れもあってちゃんと言葉にして伝えられていない自覚があります。
それでも父は、ちょっかいを出されると笑える人なんですよね。
余裕がないとき、自分は笑うことができない
一方の自分は、失恋とか仕事の悩みで余裕がなくなると、それがすぐ態度に出てしまう。
意識的にやっているわけではないんですが、空気を悪くしてしまうことがあります。
普段なら笑えることが笑えない。
ちょっとしたふざけ合いがうざったく感じてしまう。
そういう状態のときに、自分は笑ったりふざけたりすることが本当にできなくなるんです。
そのためのゆとりを、自分のなかに持てない。
でも父は、抱えているものはきっと自分よりずっと大きいはずなのに、ちょっかいを出されればちゃんと笑える。
そこにしたたかさ、というか大人っぽさみたいなものを感じました。
父が明るく反応できるということは、本人だけじゃなくて、家族や職場の周りの雰囲気にも影響していると思うんです。
そこまで意識して配慮しているのかはわからないけれど、状況がしんどくても明るく振る舞えるというのは、もう本当にすごいなと思います。
父にできて、自分にできないこと
苦しい状況のなかでも、ふと笑うことができる。
これは、父にできて自分にはまだできないことの一つだなと、今朝はっきりと気づきました。
自分もいつか、父みたいにできるようになれるといいなと思います。
今日はそんな、父に対する気づきというテーマでお話しさせていただきました。
それでは、コーヒーが冷めないうちに失礼いたします。
まとめ
- 23歳になり、父を「父親」ではなく一人の個人として見られるようになりました。
- 片道2時間通勤の重さを抱えているのに、父はちょっかいを出されるとちゃんと笑える人でした。
- 余裕がなくなると笑えなくなる自分にとって、それは大きな「できないこと」だと気づきました。