皮肉を言うなら、誰かにではなく自分に向けて
皮肉を言ったとき、気分がよかった。皮肉を言われたとき、ひどく傷ついた。中学生の頃の自分を思い出しながら、「下手な皮肉は誰かを傷つける」ということについて、コーヒーを飲みながら考えてみました。
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皮肉という、ちょっと立ちの悪いもの
今日は「下手な皮肉は誰かを傷つける」というテーマでお話ししたいと思います。
皆さんは、皮肉を言ったことはありますか。
少し前にひろゆきさんが大ブームだった頃、論破だったり皮肉だったり、冷笑的な文化のようなものが世の中に広がっていたように感じています。
最近はどうなんでしょうね。
僕はあまりSNSが得意ではないので、今の風潮はちょっとわからないんですけど。
そんな皮肉について、今日はゆっくり考えてみたいと思います。
中学生の僕は、皮肉を言うのが気持ちよかった
僕は皮肉を言ったことも、言われたこともどちらもあります。
中学生の頃、よく皮肉を言っていた記憶があるんですよね。
全然可愛げのない中学生だったんですけど。
自分が上手な皮肉を言えたときって、とても気分がよくて、どこか高揚していたような記憶があるんです。
「言えて妙な、うまい表現ができたな」っていう、ちょっとテクニカルなダジャレを決めたみたいなテンションに近かったと思います。
でも逆に、自分に向けて皮肉を言われたときは、本当に辛かった。
全くもって気分がよくなかったのを今でも覚えています。
つまり皮肉って、言った方は気分がよくて、言われた方は気分が悪い。どこかいじめのような、ちょっとタチの悪い性質を持ったものなんじゃないかな、と思うことがあります。
ウィル・スミスとクリス・ロックの一件
2022年のアカデミー賞で、俳優のウィル・スミスがプレゼンターでコメディアンのクリス・ロックさんを平手打ちにした出来事がありました。
覚えている方もいらっしゃるかと思います。
クリス・ロックさんは、ウィル・スミスの奥さまの病気のことをジョークのネタにしたそうです。
これは厳密には皮肉とは少し違うのかもしれません。
あまり深く文脈を知っているわけでもないですし、暴力はもちろん褒められたことではない。
クリス・ロックさんは一流のコメディアンでしょうし、アメリカなので文化的な違いもあると思いますので、これ以上深いことは言えないんですけど。
ただ一つ確かなのは、傷ついた誰かがいたということです。これも、先ほど話した「悪い皮肉」というか、ちょっと立ちの悪いお笑いの一種だったのかな、と僕は思っています。
誰も傷つけない皮肉があるとしたら
でも一方で、誰も傷つけずに場を盛り上げるような、うまい皮肉も世の中には存在していると思うんですよね。
じゃあそれはどんな皮肉なんだろう、と考えたときに、パッと思いつくものはあまりなかったんですけど、一つだけこれはそうかな、と思うものがありました。
それは、自分に対しての皮肉です。
自分の過去の失敗談やコンプレックスを、うまい表現と絡めて皮肉として言ってみる。
そうすれば、他の誰かを傷つけることもなく、それでも場を和ませることができる。
もしかしたら、これ以外にもっとレベルの高い、素敵な皮肉のかたちもあるのかもしれないんですけど。
皮肉を言うなら、自分に向けて
今の自分は、まだそこまで上手な皮肉は言えないと思っています。
だから、せめて自分に向けて言うようにしたい。
皮肉を言うなら、誰かにではなく自分に向けて。そしてその皮肉も、誰かを傷つけるためではなく、誰かを笑顔にするために言う。
まだまだ人間としてもできていないし、言葉遣いが上手なわけでもない。
気配りだって完全に行き届いているわけではない、未熟な自分です。
だから今のうちは——もしかしたら一生かもしれないんですけど——そうしておこうと思っています。
今日はそんな、うまい皮肉と下手な皮肉について考えてみました。
それでは、コーヒーが冷めないうちに失礼いたします。
まとめ
- 皮肉は、言った方は気分がよくても、言われた方を傷つける性質を持っています。
- 誰かを傷つけずに場を和ませる皮肉があるとすれば、それは自分の失敗やコンプレックスに向けたものではないでしょうか。
- 皮肉を言うなら、誰かにではなく自分に向けて。そして、誰かを笑顔にするために使いたいと思っています。