愛されていた、その隣で
ありのままでいられる場所は、思っているよりずっと希少なのかもしれません。気を張っているつもりはないのに、どこか純粋な自分ではいられない。そんな自分にも、ひとつだけ、心のガードを下ろせた場所がありました。
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自然体でいられたら、どれほど楽だろう
おはようございます。
コーヒーと一人ごとのお時間です。
今日は「自然体でいることの難しさと、そうあれる場所」というテーマでお話ししたいと思います。
皆さんは、何のしがらみもなく、ただありのままで自然体でいられたら、どれほど楽だろう、と考えたことはありませんか。
自分は今、まさにそれを考えているんですね。
大学を卒業して就職をせずに独立したことによる焦りや切迫感。
そして何より、大切な恋人から別れを迫られているということ。
最近、自分のあり方について考えることが多いのは、きっとこのあたりに理由があるのだと思います。
気を張っているつもりはないのに
自分は今、飲食事業を始めていて、最初の方はマルシェなどのテント出展形式でイベントに参加しています。
主催者、他の出展者、そしてお客さんとのコミュニケーション。
いろんな人と関わることが多いんです。
ちょっと変わった人や癖のある人もいますが、基本的にみんなとても優しい。
でも、やっぱりそういう人たちの前だと、気を張っているつもりはないんですけど、どこか純粋な自分ではいられない、そういう気がするんですね。
それが心理的な安全性によるものなのか、ビジネス的な利害関係があるからなのか。
考えてみれば、学校の教室でも、なんなら家の中でも、他人の目や社会的な視点なしに、ただありのままの自分でいられたことはないように思うんです。
だからこそ、自然体でいられる場所というのは、現代においてとても希少なのだろうな、と感じています。
ただひとり、心のガードを下ろせた相手
なんですけど、そんな自分でも、ただありのままでいられた場所があったんですね。
それが、恋人の横でした。
自分をありのままで受け入れてくれるという安心感。
そこには確かに、心理的な安全性があったのだと思います。
それは最初からそうだったわけではなくて、少しずつ自己開示をして、ガードを下ろしていった結果、そうなったんだと思うんです。
ちょっと不思議ですよね。
ずっと過ごしている家族でもなく、元は赤の他人だった恋人が、そういう存在になるなんて。
家族でさえ、社会に出ていくうちに、世間体的な様子が家の中にも持ち込まれてしまうのかもしれません。
きっと、同じように感じている方もいらっしゃるのではないかな、と思っています。
心を開いた途端に、足元を救われる
何はともあれ、恋人の横というのが、ただありのままで自然体でいられた、とても貴重な場所だったんですね。
僕は今、そんな恋人から別れを迫られているので、そのかけがえのない場所を失おうとしている。
ここで思い出したのが、ルイス・キャパルディの『Someone You Loved』という曲です。
直訳すると「君が愛した誰か」。
恋人と別れたあとの心情を描いた歌で、「君の愛した誰かでいることに慣れてきていたはずなのに」というフレーズがサビにあります。
その中に、こんな一節があるんです。
> I let my guard down and then you pull the rug.
「let my guard down」は心を開く、ガードを下ろす。
「pull the rug」は直訳すると絨毯を引き抜く、という意味で、比喩的には、それまであったサポートを急に取り上げる、裏切る、足元を救う、といった意味になります。
つまり、心を開いた途端に、足元を救われた。
今回のテーマにぴったりのフレーズだなと思いました。
ぜひ、皆さんも一度聴いてみてください。
それでは、コーヒーが冷めないうちに失礼いたします。
今日も一人ごとにお付き合いいただき、ありがとうございました。
まとめ
- 気を張っているつもりはないのに、純粋な自分ではいられない。そんな場所が、現代にはあまりに多いのかもしれません。
- ありのままでいられたのは、家族でも友人でもなく、少しずつ自己開示を重ねた恋人の横だけでした。
- ルイス・キャパルディの『Someone You Loved』にある「心を開いた途端に足元を救われた」という一節が、今の心情にちょうど重なります。