満員電車で気づいた「視野の狭さ」——目の前のギュウギュウから抜け出す思考法
満員電車でギュウギュウに押し込まれながら、ふと気づいたことがあります。自分はいかに狭い視点で物事を見ていたのか。電車の人口密度という身近なテーマから、「全体を見る」ことの大切さについてお話しします。
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満員電車の「人口密度のムラ」に気づいた瞬間
僕は普段から電車に乗ることが多いんですけど、通勤・帰宅の時間帯ってめちゃくちゃ混むんですよね。
都内に出勤されている方は特に共感してくださると思います。
席には座れないし、立っている人たちはもうギュウギュウで、ちょっと気疲れしちゃうくらいです。
そんなギュウギュウ詰めの中で押しつぶされそうになりながら思ったんです。
自分って全然視野が狭くて、全体を見れていないんだなって。
大前提として、混雑している電車ってかなりツメツメに感じるんですよ。
僕も実際に他の人と体が接触しているくらいの状態でした。
でも、この電車の中の人口密度には「ムラ」があるんですよね。
つまり、ツメツメに見える車内にも、混んでいるところと空いているところがある。
人の分布が一定ではないんです。
ドアの前は混む、でも座席の前はスカスカ
傾向として、ドアの前はめちゃくちゃ混みます。
後から来る人がどんどん溜まっていく場所なので、とてもツメツメになるんです。
ただ一方で、座席の前って結構スカスカだったりするんですよ。
吊り革の周辺はどんなに混んでいても、だいたい一つの吊り革の下に一人かそれ以下。
なんなら、ドアの前がギュウギュウなのに吊り革の下が丸々空いている、なんてことも珍しくありません。
最初に乗った人は席に座り、次の人はドアから近い吊り革に行く。
そうすると後から入る人にとっては手前側が塞がれてしまうので、わざわざ押しのけて奥の吊り革まで行くのはコストがかかる。
その結果、ドア前に人が溜まり続けて人口分布のムラが生まれてしまうわけです。
ちょっと視点を広げるだけで、取れるポジションが変わる
みんな、知らない人同士でギュウギュウのおしくらまんじゅうなんてしたくないわけですよ。
だから空いているスペースに移動できれば、だいぶ快適に過ごせるはずなんです。
でも満員電車だと、なぜか座席の前は「聖域」みたいになっていて、どんなにツメツメに押し込まれていても左右の座席前には流れ込みにくい。
不思議ですよね。
ちょっと視点を広げて車両全体を見ると、人口密度の偏りがわかってくる。
それさえ把握してしまえば、自分が密集地帯にいるのかスカスカのところにいるのか判断できて、ギュウギュウ詰めの状態からある程度は解放されるんです。
車両→列車→路線→そもそも移動しない、という視点の広げ方
今お話ししたのは単一の車両の中の話ですけど、列車全体で見ることもできますよね。
各車両ごとの人数は必ずしも均一ではないはずです。
もっと言えば、ホーム全体——つまり後続の列車の混み具合も含めて考えると、さらに広い視点で捉えられる。
他の路線でも行けるならそこも選択肢に入るし、バスやタクシーといった他の交通手段も含められます。
さらに視点を広げると、そもそもの移動をなくすという選択すら浮かんでくるんですよね。
仕事や待ち合わせで電車に乗っているなら、リモートにするとか、相手に来てもらうとか、そもそも会わないとか。
大前提の行動すら、視点を広げると検討の俎上に上がってくるわけです。
「全体を見る」は電車だけの話じゃない
こうやってどんどん視点を広げてみると、目の前のギュウギュウ詰めの中で揉まれていた自分が、いかに狭い視点で考えていたのか痛感しました。
電車の混み具合一つとっても、全体像はかなり広げることができるんですよね。
これが一種の「視野の広さ」に通じてくるのかなと思います。
視点を広げるという作業は何事にも応用できますし、電車の人口密度よりもっと大事なことで使ったほうが、その価値が発揮されそうだなと。
意外と普段できていないことに気づきました。
皆さんもぜひ、いつもより意識的に視点を広げて物事を考えてみてください。
とりあえずは電車の混み具合や人口密度を試しに俯瞰してみて、ご自身がどういうポジションを取るのか考えてみてくださいね。
まとめ
- 満員電車の人口密度には偏りがあり、ドア前は混むが座席前は意外と空いている
- 視点を「車内→車両→列車→路線→移動手段→移動しない」と広げると、取れる選択肢がまったく変わる
- 目の前の状況に揉まれているときこそ、一歩引いて全体を見る視点が大切