泣きっ面に蜂を避ける
「泣きっ面に蜂」という言葉、誰しも一度は経験したことがあるんじゃないでしょうか。悪いことが重なる時期って、なぜか続くんですよね。でも今回は、そのことわざを要素分解してみることで、「実は避けられる部分があるんじゃないか」という話をしてみました。
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「泣きっ面に蜂」の正確な意味
「泣きっ面に蜂」という言葉、皆さんはご存知でしょうか。
よく「悪いことが重なること」として使われますが、実はもう少し正確な意味があります。
単に悪いことが2つ起きるというだけじゃなくて、悪い状況にある時ほど、さらに悪いことが重なりやすいというのが本来の意味なんだそうです。
「悪いことが重なる」ではなく、「悪いことがある時ほど重なる」——この微妙なニュアンスの違い、なんとなく体感として分かる気がしませんか。
最近の自分、まさに「泣きっ面に蜂」状態
実は最近、自分自身がまさにこの状態で、いろんなトラブルが次から次へと起きています。
親との関係がぎくしゃくしていたり、それと同時に恋人との間でも別れ話が出てきたり、奨学金などいろんな支払いが迫ってきたり。
それぞれ単独でも十分しんどいのに、重なって起きているから余計にきつい。
でも、その「きつい」を感じながら、ふとこう思ったんです。
「これって、避けられた部分もあったんじゃないか」と。
悪いことには2種類ある
「泣きっ面に蜂」を構成する「泣きっ面」と「蜂」——この2つの悪いことをよく見てみると、大きく2種類に分けられます。
ひとつは、自分の力ではどうにもならないもの。
地震、天気、コロナ——こういった外部要因は、いくら備えたところで完全には防げません。
もうひとつは、自分の行動で対処できるもの。
たとえば「仕事に遅刻した上に、雨が降っているのに傘を持っていない」という状況。
遅刻は、余裕を持って出発すれば避けられたかもしれない。
傘がないのも、折りたたみ傘を常に持ち歩く習慣があれば防げた話です。
「雨」はしょうがない。
でも「傘を忘れる」は自分次第。
このように分解してみると、コントロールできる部分って意外と多いんですよね。
諦めの言葉を、主体性で読み替える
「泣きっ面に蜂」ということわざ、個人的にはどこか「諦め」のニュアンスを感じていました。
「辛い時ほど辛いことが重なる、それはもうそういうもんだよ」という、ある種の達観というか諦観というか。
でも、ちょっと捉え方を変えてみると、この言葉は「不幸にはコントロールできないものとできるものがある」と言っているとも読める。
そして、コントロールできる部分をひとつひとつ潰していけば、泣きっ面に蜂のシチュエーションは避けられるかもしれない——そういう主体的な改善のヒントが、実はこのことわざの中に隠れているんじゃないかなと思っています。
備えあれば憂いなし——自省を込めて
今の自分の状況を振り返ってみると、親との関係も恋人との関係も、普段からちゃんとコミュニケーションを取っていれば回避できたことかもしれません。
それを怠った結果として、今の「泣きっ面に蜂」状態があるわけで。
辛いものは辛いんですけど、それと同時に「ちゃんとアクションしておけばよかったな」という反省も正直あります。
皆さんも、「泣きっ面に蜂」になる前に、備えあれば憂いなしという言葉の通り、自分でコントロールできる部分から少しずつ手を打っておけるといいかもしれません。
ことわざって、ただの嘆きじゃなくて、行動のヒントになることもあるんだなと、改めて感じた今日この頃です。
まとめ
- 「泣きっ面に蜂」とは、単に悪いことが重なることではなく、悪い状況にある時ほど悪いことが重なりやすいという意味です。
- 悪いことには「自分でコントロールできないもの」と「備えや行動で防げるもの」の2種類があります。
- コントロールできる部分をひとつずつ潰していくことで、不運の連鎖を避けられる可能性があります。備えあれば憂いなし、です。