ちっぽけな街
久しぶりに訪れた渋谷が、記憶の中よりずっと小さく、薄暗く見えました。景色は変わっていないのに、何が変わったんだろう。そんな夜の独り言です。
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数ヶ月ぶりの渋谷
昨日、だいぶ久しぶりに渋谷に行ってきました。
今いる場所からだと電車で1、2時間。
まあまあな距離なんですよね。
学生時代はよく行っていた場所でした。
通学の定期の範囲内だったのもあるし、何より当時の恋人と会うための中間地点がその辺だったので、よく一緒に歩いていたんです。
1週間に3回くらい行っていた時期もあって、めちゃくちゃ馴染みのある街でした。
でも別れてからは全然行かなくなって、気づけば数ヶ月ぶり。
当時は何をするために行っていたわけでもなくて、カフェに寄ったり、公園を歩いたり、ただただ一緒に過ごしていた。
そんな思い出のあふれる場所でした。
街が小さく見えた
久しぶりに歩いてみて、別に悲壮感に浸っていたわけでもないんです。
時間も経ちましたし、そんなに感情的に暮れていたつもりはなくて。
でも、なんだか違うんですよね。
いつもはもっと大きく、眩しく見えていた渋谷の街並みが、その日はやけにちっぽけで、薄暗く見えたんです。
思い入れのある渋谷スカイという展望台があって、渋谷スクランブルスクエアっていうめちゃくちゃ大きいビルなんですけど、それすらいつもの3分の2くらいに小さく見えたんです。
目が歪んだのかもしれないし、その時500mlのビールを2本煽ってから外に出たので、そのせいもあるのかもしれないんですけどね。
アイデンティティが景色を変える
でも歩いていて思ったのは、どういうアイデンティティで物事を見るかによって、景色の見え方はガラッと変わってくるんだな、ということでした。
学生時代にたくさん渋谷に行っていた頃は、大切な人の横で歩いていたわけで。
その時の自分は、きっと「恋人の横にいる自分」みたいな自認があった。
だからただの街並みも、彩りにあふれて見えていたんだと思うんです。
でも今は、なんでか全部が無機質に見えてしまう。
「なんてちっぽけな街なんだろう」なんて、田舎から一日かけてはるばるやってきたくせに思っていました。
だから自己認識って、非常に重要だなって感じたんですよね。
特に大切なパートナーは、自分の認識に大きな影響を与えると思うんです。
自分がどうあるかで、見え方は変わる
自分がどういうアイデンティティでいるかは、本当にすべての物事の見方を左右すると思っていて。
たとえばサッカーをやっていた自分と、やっていなかった自分だと、ワールドカップの見方だって変わってきますよね。
アイデンティティの濃さみたいなものが違うと言いますか。
そういうことを体感した夜でした。
たまにはこういう日も悪くないのかなって、今振り返りながら思っています。
ただそう思いたいだけなのかもしれないんですけどね。
皆さんの目には、渋谷の街並みはどんなふうに映っているでしょうか。
まとめ
- 久しぶりに訪れた渋谷が、記憶の中よりずっと小さく薄暗く見えました。
- 景色そのものではなく、自分の立ち位置や自己認識が変わることで街の見え方は大きく変わります。
- 特に隣にいる人の存在は、日常の景色に彩りを与える大きな要素なのだと感じました。
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